そして、手術はできないと匙を投げられた -大動脈解離の記録④-

2009年5月~

病名判明(2009年2月~4月)-大動脈解離の記録③-

病名が判明してからの私は毎日、毎日、大動脈解離についてネットで調べては泣いて暮らしてました。

気分が落ち込んで、何もする気力がなく食欲もありませんでした。
ただ、末っ子のお世話や上の子供たちのお世話があったのでなんとかこなしてました。
食欲もなかったけれど、無理やりでも少しは食べるようにはしてました。

子供たちがいなかったら、もっと酷い状態になっていたと思います。

その頃は旦那や子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

解離性大動脈瘤による日常生活の制限や注意すること

日常生活の注意点として、重い荷物は持ってはいけないと言われました。
重い荷物ってどのくらいだと思いますか?
私は普段の買い物も自分で荷物を持たないように言われました。

赤ちゃんの抱っこは必要最低限に、膝に乗せて抱っこがいいでしょうと。
愕然としました。
抱っこもできない、降圧剤を飲んでいるから母乳もあげられない。

お腹に手を当てると拍動が感じられました。
これは大動脈解離になり、血管が膨らんで瘤になっている為にお腹に手を当てると膨らみも分かり拍動を感じるのです。
解離性大動脈瘤になっている状態。
ここまでなるにはかなり大きく膨らんでいる状態なので、日常生活に制限がかかりました。

もし破裂したら死にます。

怖くて仕方なかった。

家族とお出かけしても頭の中は病気のことでいっぱい

ちょうどゴールデンウィークで病気が分かる前から約束していた遊園地に出かけました。

アトラクションには乗れないので末っ子とベンチにずっと座ってました。

次女に「次はママとジェットコースターに乗りたい。」と言われたけれど「怖いから」とごまかしたら「来てる意味ない!」とすねてました。

ママだって一緒に乗りたいよーー 涙が出そうになるのをグッと堪えて「7歳になったら一緒に乗ろうね」と約束しました。



大動脈解離が判明してから2週間

大動脈解離が判明してから2週間がたちました。
心臓血管外科の部長先生から旦那に詳しい説明がされる日です。

開口一番「こんな状態で母子ともに無事だったのは不幸中の幸い、奇跡です。」と言われました。

前回一人で聞いた話では胸部と腹部が瘤(こぶ)になっていると言われていたので解離もその部分だけだと思ってましたが、どうも心臓のすぐソバからお腹まで解離していて胸部と腹部が膨らんでいるとのこと。
思っていたよりかなり深刻な状態でした。

解離性大動脈瘤の治療について

治療の話になり、私の場合はカテーテルでの治療はできないとはっきり言われました。
心臓の側から足の付け根まで解離しているので開胸、開腹手術になるそうです。

それも一度の手術では無理で数回に分けてしないといけないということ。
そして、その手術はかなり難しいということでした。

手術拒否

難しい手術ということで、末っ子を出産した総合病院の心臓血管外科では手術を拒否されました

病院内にその難しい手術を執刀できる医師がいないそうです。
その上、総合病院と提携して紹介できる病院も症例が少ないようで、自分で行きたい病院を探したら紹介状を書くと言われました。

どうやら完全に匙を投げられたようです。

枯れたと思った涙、まだまだ出ます。

どうしたらいいの?
何がなんだか分からない、涙は出るけどどこか他人事だったり。
夢かな?と思ったり。
本当に夢だったらいいのにな。

→ セカンドオピニオン、そしてサードオピニオンへ -大動脈解離の記録⑤-







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