胸腹部大動脈置換手術、個室移動~退院まで-大動脈解離の記録㉒-

2011年 3月
大動脈解離を発症し、3回目の手術。
前回の胸部の手術後に、あと1回~2回の手術になると言われてました。

>>>胸部大動脈置換手術-大動脈解離の記録⑫~⑱-

術後、残っていた部分を全部できた、これが最後の手術だと伝えられました。
これで私の全ての大動脈が人工血管になりました。





個室に移動

術後5日目、個室に移動になりました。
頭痛は一向に良くなりません。

個室に移り、2日目から食事が始まりました。
横になってると頭痛も感じないから食事が始まったら食べられると思っていたけど、ダメでした。
頭を起こすと本当に辛くて・・・

リハビリでトイレまで歩行器を使って歩いたけれど、嘔吐です。

もう泣きそう・・・

じっとしていたい。
でも、看護師さんはリハビリと言ってどんどん歩かせようとします。
動かないとって気持ちはあるけれど、本当に辛い。

リハビリはしなくて、寝てたらいい。ごはんも食べなくてもいい。

見かねた執刀医が看護師さんにもリハビリはさせなくていいと言ってくれたみたいでした。

トイレだけはなんとか頑張ってポータブルトイレをベッド脇に持ってきてくれました。
ベッドの真横にあるトイレに移動するのも必死で、なるべくトイレに行かなくていいように水分は摂らないようにしてました。

食事は寝たままの体制でも食べられるように看護師さんが小さい一口サイズのおにぎりにしてくれました。

そんな状態なのに、数日して一般病棟へ移動と言われて不安でいっぱい。




一般病棟(4人部屋)へ移動

一般病棟へ移動ということは順調に回復しているということだけど、頭痛は治まらなくて・・・

研修の看護学生さんが担当につき、頻繁に様子を見に来てくれました。
東京からこの病院へ研修に来ているとのこと。
私の発症時のことや、子供たちのことなど色々とお話して気がまぎれました。

最初に看護学生を付かせて欲しいと言われた時は正直なところいやでした。
毎日の血圧測定、採血など処置はやっぱり時間がかかるから苦痛に感じる時があったのは正直な気持ち。

でも、本当によくしてくれました。
彼女のおかげで気がまぎれたし、病室へ来てくれる時間がいつもより遅いと「まだかな」って思うようになりました。

看護学生さんとお別れの日

研修期間は2週間。
最終日は、なんと私の為に冊子を手作りしてきてくれました。

もう会えないと思うと寂しくて、二人で泣いてお礼を言いあいをしてました。
本当にありがとう。

素敵な看護師さんになってくださいね。

あれから8年くらい経ってるから、今はきっと立派な看護師さんになってるんだろうなぁ。




一般病棟で地震

一般病棟へ移ってから地震がありました。

まだ点滴が繋がっていて、ベッドに横になってました。

地震?

と思ったら廊下でガシャーン!という音が響き渡ってました。

看護師さんたちの「大丈夫ですよー」って声や「わー」って声。

大きな横揺れを感じました。
私が入院していたのは6回の病棟。

ゆ~らゆ~らと長い間、揺れてました。

もし、病院が崩れたら・・
手術は成功したけれどもしかしたら・・

頭の中で色々考えてました。

何度か揺れて本当に怖かった。
もし手術中にこの地震が起こっていたらどうなってたかな?と考えてドキドキした。

揺れがおさまってからも「また揺り返しがくるかも」と思うとしばらく不安でした。

テレビを付けたら東日本がすごい被害を受けていました。
東日本大震災でした。

>>>東日本大震災(2011年 3月)『Wikipedia』

連日、テレビは震災のことを伝えていてこの入院では命のことをすごく考えました。

退院許可

頭痛の方も日が経つにつれ、治まってきました。
まだ、痛みはありますが少しの間10分程度なら座ってられるようになり、食事もできるようになりました。
トイレもポータブルではなく、トイレまで歩けるようになりました。

とは言え、体力が落ちていて足腰も弱っているので歩くのはもちろん、座ってる姿勢もすぐに疲れるので横になってることが多いです。

まだそんな状態でしたが、退院許可がでました。
本当はまだあと1週間以上は入院の予定でしたが、執刀医が好きにしていいよって。
病院でいた方が安心ならいてもいいし、帰りたかったら帰ってもいいと。

不安はあったけれど、週末に退院することにしました。
退院の当日はやっぱり不安で、帰りの車の中でも体がつらくて、やっぱり病院に戻ろうかなって思うほど(^^;)

家に着いてベッドに直行です。

まだまだ、通院は続きますがしなければならない手術はこれで終わりました。







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